雄琴第一号店「花影」が、1971年(昭和46年)2月6日に華々しくオープン。そしてその評判がまたたく間に日本全国へと広がった。
同年7月に「東京トルコ」と「白雪」というソープがオープン。まだ、ソープランドが「トルコ風呂」と呼ばれていた時代である。
雄琴の評判に裏付けされたのは、関東から呼び寄せられた泡姫たちのサービス力だった。
当時、大阪にもトルコ風呂と呼ばれるものはあったが、ほとんどが普通のサウナ状態。
過剰サービスとされる少数の店でもフィンガーサービスのみだったらしい。
また、新開地にできた旧福原遊郭の福原トルコは50軒ほどあったが、○番のみで、テクニックは皆無だったという。
だから、噂の関東流トルコを1度体験したいと思う関西のユーザーが殺到したのだ。
その勢いに乗り、同年末までにさらに7軒が、そして翌年1972年には8軒が加わり、1973年には総軒数29軒を数えるまでになった。
そして最盛期の1980年には総軒数48軒と、一大トルコシティの様相を呈するようになっていた。
その頃には雄琴は全国一の繁栄を見せていた。ベテランの泡姫たちが、「稼げる」ことを期待して押しよ寄せ、
テクニックを競ううちに、雄琴ならではのサービスも生まれていったという。
【参照】
「ちろりん村顛末記」(広岡敬一 1984年 朝日新聞社)
「戦後風俗大系 わが女神たち」(広岡敬一 2004年 朝日出版社)