兵庫の福原ソープと肩を並べ、関西2大ソープの1つに数えられる雄琴ソープ。
幕末に遊郭としてスタートした福原と比べると雄琴の歴史はかなり新しい。
雄琴の第一号店「花影」がオープンしたのは、1971年(昭和46年)2月6日。
昭和41年の通常国会でトルコ風呂(当時のソープランドの名称)規制案件が通過、滋賀県当局が定めた営業許可地として雄琴に約30万平方メートルの広大な土地があった。しかし当時、湖岸のこの周りは一面たんぼ。近くに温泉があるといっても鉱泉の沸かし湯。「そんな場所にトルコ風呂で遊ぶ客が来るわけがない」というのがトルコ業者の一般的な見方だった。
そんな常識的な考え方を破ったのが「花影」のオーナー田守世四郎氏だった。
彼は雄琴エリア前を走る国道161号線の道路交通を調査。さまざまな県からの車が通っていることが判明。
道があればどこからどこへでも往来できるモータリゼーション時代の到来を実感した。
そして「いい店さえあれば、どこからでも来てくれる」という確信へと変わっていった。
「花影」オープン日。午後3時開店。午後過ぎから、次々に車で客が来店。たちまち駐車場はいっぱい。待合室も満員。午前2時までに200人が入浴、100人があぶれて帰っていったという。15人の泡姫で、1人あたり13人のお客をさばいた計算。ろくろく休憩を取る暇もなかったらしい。
そしてオープンから間もなくこの状態が続くこととなる。
まだ雑誌にとりあげられるなどの広告の手段のない時代。クチコミだけで、これだけの人がやってきたというのがすさまじい。
まさに伝説の始まりだった。
【参照】
「ちろりん村顛末記」(広岡敬一 1984年 朝日新聞社)